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喜撰法師(歌人)の蘊蓄(うんちく)「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」

六歌仙 フリー

ひとつ前の記事 [その2 映画『沖縄狂想曲』2024年 太田隆文] のラスト付近でペリー提督に触れた。そこで、ここに、唐突ながら、うんちく(蘊蓄)をひとつ。

 

ペリーとと言えば、黒船来航の折、庶民の口にのぼった狂歌を真っ先に思い出してします。この狂歌(庶民の落書き?)は、強烈な印象を残す。教科書の内容のあらかた粗方は忘れても、この歌は忘れないでいる。(ほんとうに庶民のうたなのか)

うんちくにもどる。

「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」←あまりにも有名

「上喜撰」とは宇治の高級茶の名であり、同時に蒸気船(じょうきせん)に掛けている。幕府が四隻の黒船に大慌てする様を、「お茶を飲みすぎて眠れない」と戯画化した。為政者批判の咎め(ご政道批判は重罪と聞いた)を避けながら笑いを生む、江戸庶民の機知と心意気である。(報道の自由か!。 報道しない自由は含まない)

だが、「喜撰」という語にはさらに深い縁がある。今回のうんちくは、ここからです。

平安前期の歌人喜撰法師」(きせんほうし)をご存じだろうか。

六歌仙のひとりであり、『古今和歌集』や百人一首にも名を残す。とりわけ有名なのが、宇治山に隠棲したと詠むこの一首だ。(最近(今)読書中です)

「わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世を宇治山と 人はいふなり」

 

私の住まいは都の東南にあり、このように心静かに暮らしている)しかぞすむ)。(なのに)世を憂いているから憂し山(宇治山)に移り住んだと噂する人がいるようだが。

「世を宇治山と人はいふなり」の「と」こそが興味深い。つまり「人はそう言うが、私はそうではない」という逆照的なニュアンスがにじむ。名歌と言えるかどうかは別として、世間の評判をうのみにせず、あくまで自分の立場から語る眼差し。ここに、批判精神と鋭い自己認識がうかがえる。

 

現代に照らせばどうだろう。私たちは「人はいふなり」に安住してはいないか。テレビは、ことあるごとに専門家を呼び、わかりやすいコメントを添える。それを視聴者は「そういうものだ」と受け取り、あたかも神託のように信じてしまう。それをあたかも自分の意見のように、人に言う)

だが、そこに「と」を差し挟み、自分の頭で吟味しようとする精神はどれほど残っているだろうか。喜撰法師の一首は、千年以上の時を隔てて、現代の私たちへの皮肉の鏡にも見える。

うんちくその3

その「批判精神」を映す人物像は、さらに謎めいている。喜撰法師は実在がほとんど不明で、後世には紀貫之と同一人物ではないかという異説さえ生まれた。仮にそれが真実だとすれば、貫之は「喜撰」の仮面をかぶり、隠者風の鋭いまなざしで世を冷ややかに見ていたことになる。(貫之は喜撰法師について、よくわからないとも言っている)

京都・宇治と言えば茶の産地。「喜撰」とは高級茶の銘柄。特に上等なのが「上喜撰」

黒船狂歌の「上喜撰」と、喜撰法師の歌が重なると、単なる風刺を超えた文化的連鎖が見えてくる。江戸庶民はおそらく無意識に、千年前の「批判精神の歌人」の影を踏みしめていたのではないか、とまでは言い過ぎか。

「と、人はいふなり」をそのまま受け取るか、それとも「だが私は違う」と考えるか。江戸の狂歌も、平安の歌も、そして今日のメディア環境も──問いは同じである。

ま、うんちくは、少しまとまりに欠けたが、前の記事でも、(軍の強制死)問題で、強烈な洗脳(教育)の中で自分の意見を持つこと、それを実行したこで惨劇を回避し得た事例があったこと知った。